二人。この空間は静かだった。 夜が俺らを包む中、背中に感じるぬくもりだけが俺の気持ちを和らげる。 弱弱しく俺の肩を掴む小さな手からも温かい彼女の生きてる証を感じられた。



「におう、」



おんぶしてるから彼女の顔を見ることはできんが、今のの顔は恐らく泣きそうな顔でいるだろう。 いつもの明るい声とは違い、落ち着いた小さな声で俺の耳元で俺を呼ぶ。 しかし俺はそれに答えることもなく、前を向いて月の光だけが頼りの道を進んでいく。 ぎゅっと、俺の肩を掴む指に力が込められた。



「におう、」 「・・・そんな呼び方じゃ俺は振り向かんぜよ」 「・・・まーくん」 「ん、なんじゃ?」



彼女が呼ぶいつもの俺の呼び名を聞いて、返事をする。 俺は相変わらず前を向いて、歩みを止めない。 肩口にそっと重みを感じ、目線だけを彼女に移す。 俺の目に映るのは愛しい彼女の揺れる前髪。 撫でてあげたい気持ちを抑えつつ、彼女の名前を呼んだ。



?」 「あの、さ・・・」 「ん?」 「今まで、ありがとうね」 「・・・おう」



また、少しだけ彼女の指に力が込められる。 軽く落ちてきた彼女の体を背負いなおして、俺はまた彼女の話に耳を傾けた。 上を少し見上げれば月が大きく笑っている。



「私ね、まーくんがいてくれたおかげで・・・怖かったけど、・・・決心がついたんだよ」 「・・・そうか」 「まーくんがいてくれたおかげで、くすんでいた毎日がすごい楽しいものに変わってた」 「俺も、お前さんがいてくれたおかげで毎日が楽しかったぜよ」 「ホント?」 「俺が嘘をつくと思うんか?」 「だって、まーくん詐欺師じゃん!」



あはは、と耳に届く明るい笑い声。 こんなにも彼女は元気だというのに、 なぜ彼女の身体は俺たちとは違うんだろう。




「あ。それとね、まーくんが一緒だったから、ちょっとしか行けなかった学校も すっごく楽しく感じられたよ!」 「そうか、そりゃ良かった」



興奮気味に話す彼女に、俺は口角が上がっていくのを感じた。 さっきまで乗っていた肩の重みはなくなって、右手をバタバタさせながら必死に『楽しかった』という 思いを俺に伝えようとする。 そんなところも愛しくて、俺は目を細めた。



「それにそれに!たくさん友達もできた!!」 「確かに・・・相当居ったな・・・」 「まーくんより多分多いよ!」 「それはないじゃろー」 「えーあるよー案外まーくん信用ないじゃん」 「・・・は何気にひどいこと言うのう」



「事実だしー」と笑いを含みながら、話す声も全部全部愛しい。 ぎゅっと俺の首に回された細い腕も、すべて愛しい。 このまま、時が止まればいいとどんなに思ったことか。




「今日はみんなからね、いっぱいの言葉をもらえて私すごい幸せだったんだ。」 「まぁ、が学校に来れる最後の日じゃったからな」 「まぁね!で、あの赤也くんに『先輩!絶対俺のこと忘れないで下さいね!忘れたりしたら夢に出てきますから!』 て言って抱きつかれちゃったんだよね〜!」 「抱きついた・・・?人の彼女に手を出すとはええ度胸じゃな赤也。後で俺平手 ナリ」 「あははっなにそれ!」



あいつ俺の目を盗んで手をだしよって・・・。 彼女は俺が言った言葉に心底おかしそうに笑った。 俺は本気なんだがな。




「あ、それで柳生くんにはね『さん。貴女は必ずここへ戻ってくる ことを信じてますよ。決して諦めず、何事も前を見てで歩んでいって下さい。』 て言われた!」 「柳生の奴、もうちょい軽く言えんもんかのう・・・」



自分のパートナーの言葉に思わず、苦笑が漏れる。 まったく、あいつはホントに俺と同い年なのかたまに不安になる。



「柳くんには『必ず治るから、自分を信じろ。そして、また一緒に書道をやろう な』て言って筆をくれたよ!」 「・・・参謀の大事にしちょる筆だな。そんなもん貰うなんてはすごい のう」



参謀はあまり人にものをあげない。 そんな参謀からものを・・・いや、参謀が大事にしているものをもらうなんて本当に彼女はすごいと思った。



「えへー!あ、真田くんにはね、『ここへ戻ってくるときは、が行きたが っていたケーキ屋に連れて行ってやる』て言われて早く食べに行きたいなて思っ た!」 「あの真田がなぁ・・・」



これにも俺はとても驚いた。 ケーキ屋になんて真田を誘うものならば「たるんどる!」の一言で切るくせに、 その真田が誘うとは・・・。 しみじみ真田とケーキ屋の組み合わせに違和感を感じながら、彼女の次の言葉を待つ。



「ホント楽しみだよー!そんで、ブン太くんは『前雨で行けなかった遊園地に体治ったとき行こうな!約束だぜ ぃ?』て指切りした!ジャッカルくんも『戻ってきたらお前が食いたいって言っ てた俺のカレー料理食わしてやるからな』て頭撫でられたんだー」 「・・・随分色んな約束をしてたんじゃな」



つうか、いつのまにブンちゃんと遊園地行ったんじゃ。 俺が知らないことが次々と出てくるので、少しばかし焦る。 いやしかし、奴らも奴らで人の彼女に手を出しすぎじゃ。



「最後に、幸村くんにも『どんなに離れていても、俺らがいつもそばにいること を忘れないで。早く治るようにみんな願っているからね。だから治ったらすげ戻 っておいで。』てリストバンドくれたの!」 「ほう、あのケチな幸村が物をやるなんて・・・こりゃ明日大嵐じゃな」 「えー幸村くん結構物くれるよ?」 「限定に決まっとるよ」 「そうかなぁ?」



ケチで有名な幸村までもが彼女にモノを与え『約束』を与えていた。 ここまでくると、俺が思っていた以上にテニス部の奴らも彼女のことが好きだったみたいだ。 俺の目を盗んでこんなにも彼女に幸せをやっとるんじゃから。 はぁ、といつのまにかいろんな人間に愛されてる彼女にため息が出た。 暫く、何故か彼女は黙り、沈黙がおりる。 俺も話したいことはたくさんあるが、どう言葉にすればいいかわからず口を閉ざしていた。 すると、彼女がまた口を開いた。



「・・・あのね、話は戻すんだけどね、」 「ん・・・?」 「まーくんと一緒にいれて、私は本当に幸せだったよ」 「・・・知っとるよ」 「それでね、私、どんなみんなの素敵な言葉よりやっぱりまーくんの『いつでも俺の隣はのた めに空けとるから早よう戻ってきんしゃい。』っていう一言のが何よりも一番嬉しかったんだ」



ふと、右肩に感じた先程の重み。首に回された腕も、心なしか震えている。



「本当に、本当にありがとう。私にいつも勇気をくれて、色んな強さを見せてくれて、 私に色んな楽しいことを教えてくれて、困ったときは助けてくれて、 泣きたいときは抱き締めてくれて、不安なときはキスしてくれて、 寂しいときは頭を撫でてくれて、どんなときにもそばに、いてくれて。 まーくんは臆病な私の心の支えでした。あなたがいたから今の私がいるんだ・・・ホントにまーくん、ありがとう 」



しっかりと彼女が紡いだ言葉は俺の耳に通って心に浸透していく。 「ありがとう」と繰り返す彼女に、俺も「ありがとう」と小さく返した。 俺も彼女がいたから今の俺があるんだと思う。 つまらなくひどく退屈だった俺の世界を変えたのは、だ。 間違えなく彼女の存在が俺の世界に色をつけた。 その事実が何よりも嬉しく、温かいもの。



「だから、こそね」 「・・・?」 「もう、いつ帰ってくるかわからない私の帰りを待つことはしなくていいよ。まーくんには 、前を向いていてほしいの。不確かな私の存在であなたを縛ることだけはしたくな いんだ。」 「・・・」 「まーくんはいつだって私を思って、いつだって大切にしてくれた。 そんな優しいまーくんの幸せを邪魔するのはいやなの」



なんて、残酷な言葉を吐くのだろう。 必死に言葉を震わせないように言う彼女を何故愛しくないと思える? 右肩に水滴が落ちているのに気づかないわけがないだろう。 俺は苦しくて、今まで止めなかった足を止めた。 どんなものより、なによりも、彼女が大切で大事で愛しい。 彼女も同じく、俺を強く想ってくれている。 それなのに、



「だから、まーくん。私のことはどうか忘れてください。 まーくんは優しいから、絶対に私を待っていようとするよね? そんなこと、しなくていいんだよ。 まーくんは私のいない世界でこれから過ごしていくんだもん。だったら、私なんて忘れた方がいいんだよ」 「・・・いやじゃ」 「私の病気は・・・そうそう治るものじゃない。アメリカに行って治療できたとしても、リハビリとかで こっちに戻ってくるのは何年かかるかわからない。それに後遺症も残るんだって。」 「それが、なんじゃ?俺はなんて言われようがの帰りを待っとるよ。」



本当に、だからなんだというのだ。 なんと言われようが、俺は絶対に彼女の帰りを待つ。 決して治らない病気ではない。いや、違う。 治らないものだとしても、俺は彼女を愛し続けそして帰りを待つだろう。



「そんなの、まーくんが辛くなるだけ、だよ」 「辛くない」 「嘘だよ。まーくん何気に寂しがりやだからすぐ辛くなるよ・・・」 「寂しくなるんは当たり前に決まってる。が隣にいないんじゃからな。 けど、と隣で笑いあうためだったら俺はなんでもする。 そのためだったら、待つことだってできるんじゃよ」



寂しくても、彼女がまた俺の元に帰ってきてくれるのなら、 俺はいくらでも待てる。 だからな、




「だから、俺を想うなら忘れろなんていうな」 「・・・まーくん、」 「ん」 「ホントに、いいの・・・?」 「おう。そう言っとるじゃろ」 「私、まだまーくんのこと好きでいいの・・・?」 「ずっと、一生、俺を好きでおってくれ。俺も一生を愛し続けるからの」 「まーくん・・・私、も」 「・・・なんじゃ?」 「あいしてる、よ・・・っ!」 「・・・ん、知っとる」



その言葉を聞きまた俺は歩き出した。 また少し落ちてきた彼女の体を背負いなおして、 静かに泣く彼女を改めて俺は愛しいと想う。









無理な願いは、願い下げ。

(忘れろだなんて言うな。『忘れろ』じゃない、『愛して』と言ってくれ)