早足で歩く俺の後ろを小走りで追いながら、沢田は綺麗な声で俺の名を呼ぶ。
本当は沢田の呼びかけに俺はすぐさま振り返りたかったが、ここはあえて気づかないフリをして屋上を目指す。





もう一度、今度は強く名前を呼ばれた。それにも俺は気づかないフリをし、ひたすら前を見つめる。

階段に足をかける。





一段、これを上れば屋上にたどり着くというところで、沢田の指が俺の飛び出ていたシャツを掴む。

それでも、俺は後ろを振り返らず、掴む指からくる振動に気づいていながらも彼女に冷たくと返した。





そう言った沢田の言葉の語尾は微かに震えていて、今すぐにでも抱きしめてやりたかった。
掴んでいる指に力が込められ、俺のシャツが少しだけ引っ張られる。 俺に、自分の方を向いてほしいのだろう。そんな些細な仕草にも気づきながら、俺はまだ、振り返らない。





さっきより震える声、指先。後ろを見なくてもわかる。沢田は今、きっと泣きそうな顔で俺を見ているんだろう。
必死に、言葉を紡いで、俺に許しを請おうとしてるのだろう。しかし、残念ながら、俺は別に怒ってはいない。





沢田はそこまで言うと、少しだけだが、鼻をすすった。

俺は上を見上げながら、沢田の嗚咽交じりの言葉を聞き逃さぬよう耳に意識を集中した。





そこまで言うと、ぱっ、一瞬にして放されたシャツ。次には背中に衝撃。 そして、細い腕が俺の腹に回された。その腕は必死に、俺を逃がさまいと閉じ込める。俺とは違う、それ。
俺なんかが握ったらすぐ折れてしまいそうなぐらい、細い。 目を細めその腕を見つめていると、沢田は俺の背中に頭を押し付けながら必死に声を絞り出す。





尚も黙る俺に対して、詰まりながら、嗚咽をかみ殺しながら、泣きながら弁解する沢田が可愛くて、たまらない。
細く脆いその腕で俺を閉じ込めて放さない、そんな沢田が愛しくて、 誰にも見せたくない。

沢田に触れるのは俺だけであって欲しいし、沢田が触れるのも俺だけであってほしい。
ああ、沢田。俺は怒っていないと思いながら、本当は怒っていたみたいだ。
しょうがないとはいえ、持田に抱きしめられた沢田に、無防備でドジな沢田に怒っていたみたいだ。 沢田に触れた、持田にも。





ぎゅっ、俺の腹に回された腕を掴む。そのいきなりの行動に沢田はびくりと身体を震わせた。
その言葉は俺の目を見て、言って欲しい。そうすれば、俺は安心できる。 別に、沢田のことを信用してないわけではない、けど、俺に安心をくれ。
お前があまりにも可愛くて優しくて、皆の陽だまり的な存在で、儚くて脆い、そんなお前が俺でいいのか、とふと思う時があるんだ。
たまに、どうしようもない不安に駆られる。だからこそ、お前のその唇で、声で、瞳で、全身で、俺を安心させてくれ。

なぁ、沢田、お前は知っているか?
俺は持田だけではない、お前の弟にも嫉妬したことがあるんだぞ。
いや、むしろ、沢田の周りにいる俺以外の男にも、だ。
それは一度だけではない。何度もだ。
お前はこんな俺を知ったら、驚くか?喜ぶか?それとも、軽蔑するか?
なぁ、沢田。
こんなにも、怖いくらいに、お前を好きな俺がいるぞ。







俺の背中に触れている沢田の頭が小さく左右に揺れる。

・・・・・・・・
もうダメだ。お前の顔が見たい。 白く、滑らかなその頬に流す涙を、俺に拭わせてくれ。


、」

「っ!」



ぼそりと、沢田の名前を口に出す。
すると、沢田は大人しく、俺の腹に回す腕を解いた。
くるり、沢田の方に身体を向ければ、涙をぼろぼろ流す綺麗な沢田が俺の瞳を奪う。
ああ、何故お前はそんなにも綺麗なんだろうな


「ささがわっ、くっ・・・おねが、いっ・・・嫌わないでぇ、うっ、ひっぅ!!」

「俺が、沢田を・・・を、嫌うわけないだろう」



親指での涙を掬う。それを口に運べば、それはとても、しょっぱくて甘かった。
止まらず流れていくの涙を、何回も親指で掬ってみた。 それでも止まらぬ涙を、今度は舌で掬っていく。
擽ったそうには目を細めるが、やはり、止まらない。 近づけていた顔をそっと放し、
それに濡らされているの頬を両手で挟めば、その手にも手を添えた。
幸せそうに目を閉じる



俺の、



折角屋上まで保とうとしていた、
黒い感情はいとも簡単に崩されて、理性をぶち壊して、
誰が来るかもわからない 屋上前の扉に、小さな肩を押し付けて、
お互い、貪る様に、息も忘れるくらいのキスをした。
このまま、溶け合えたら、と何度思っただろう。
しかし、それは誰にも何事にも神にさえも、
許されることのない俺の独り善がりな願い、だ。









Il Suo labbro lo rotea.









(愛してる。離れたくない、と涙ながらに語る君はあまりにも綺麗すぎて、残酷だ)